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□■脈絡のない風景■□
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| 初めてキスをしたのは、月のキレイな夜だった。 固く閉ざされた唇。成り行きで抱き締めて重ねた。何もかも超越したような態度が、一瞬の内に崩れて、重ねた唇と抱き締めた身体が、子供の様に震えた。 まだ子供なのだと… 厚い鎧で心を覆ってしまっていた子供だったのだと気付いた、それが瞬間だった。 人気もない、夜の屋上で。 奴の指が、その唇をなぞる。 「割ってしまった…」 薄く血の滲んだ唇。 変なクセがある。気付いたのはいつだったか。ふとしたおりに視界に入る、唇に触れる指。指先がゆっくりと唇をなぞっていく…。 講義中、自習中…一人きりの思考の底に沈んでしまえる時、奴の指先は必ずと云っていい程、そしておそらくは無意識に、その唇をなぞっていた。 「血が…出てるぞ」 喉が乾いていた。声が掠れた。 奴はつまらなそうに呟いた。 「夜風にあたっていたから乾いたんだろう。この季節には、良くある事だ」 奴の舌が唇を嘗める。何故だか、俺は眼をそらす事が出来なかった。 紅い… それが唇の色だったのか、そうでなかったのか…。気付くと俺は、奴の腰に手を回し、二回り近く小柄なその身体を抱き寄せていた。 「深町…?」 間近に奴の瞳があった。深い闇の底を思わせる、黒い…黒い瞳……。 「…海江田」 俺は、奴の名を呼んだ。不可解な感情だった。心臓が早鐘のように打ち、ごくりと喉が鳴った。冷たい風が吹いているのに、頭の中だけが熱を帯びて熱かった。 「あ…」 逃れようとする身体を抱き竦めて、少しばかり強引に口付けた。 「ふ…かまち…」 刹那的に短いキスの後、奴は呆然と呟いた。次の瞬間その顔が、今にも泣き出しそうに歪んだ。始めて見る、人間らしい表情だった。計算された表情の下に隠されてきた、年相応の心だった。 もう一度、抱き締めて口付ける。唇が触れる瞬間、奴の瞼はそっと伏せられて…。 小さく震えた肩 今度は逃げなかった。 「久しぶりだな、海江田」 航海から帰ったばかりの海江田を見つけると、奴は、海を眺めていた。 答は、なかった。 知れば知る程、海江田は不思議な人間だった。とてつもない現実主義者であるかと思えば、まるでそうではない、一種…夢想家のような一面もある。掴み所がない、と云ってもいい。しかし、それが海江田と云う人間なのだと、奇妙な事に納得させられてしまう。 ぼんやりと海を眺めている。 「血が出てるぞ」 「え…?」 「…唇」 俺は云った。 海江田の唇に、薄く血が滲んでいた。海江田の指が、つい、と唇をなぞった。 「ああ…本当だ」 指先に付着した血液を眺めながら、海江田は呟いた。 総ての現実から、離れてしまっているような態度。 いつか見た光景。 俺は、海江田を引き寄せて唇を重ねた。海江田の唇は微かに鉄の味がした。深く口付け、舌を絡め、思うさま貪るように海江田の唇を楽しむ。長い口付けだった。 「今度は…震えないんだな」 そう云うと、海江田はクスッと笑った。 「いつまでも、そう子供ではないさ」 余裕の笑み。 「じゃあ、その子供じゃない事を証明して貰おうか」 俺は、久しぶりに誘いをかけた。『証明』の意味が、海江田には解る筈だった。 海江田は一瞬絶句して、それから急に笑いだした。 「なんだよ」 「いや…」 海江田は笑い続ける。そして笑いながら云った。 「いいぞ、深町。今夜行く」 「何だ、アルコールはなしか?」 約束通り、海江田はやってきた。部屋に迎え入れるなり抱き寄せて口付けると、海江田は呆れた様に云った。 「今夜は、お前に酔ってやるつもりだからな」 我ながら、恥かしい科白だと思ったが、案の定、海江田は笑い転げた。 「どう云う風の吹きまわしだ?」 笑いながらも、俺の背に回される腕。 「…さあな」 「お前は私に酔うつもりだろうが、私はどうすればいい?」 悪戯っぽい表情。滅多に見せない、海江田の一面。 「だったら、お前は俺に酔え」 「お前に、か?」 海江田は、笑い続けている。 「うるさい口だ」 黙らせようと、俺は海江田の唇を塞いだ。浅く、深く角度を変えて何度も口付けるうちに、笑いはやみ、海江田の唇から溜め息にも似た吐息が溢れ始める。 海江田が夢中になり始める頃合いを見計らって、俺は奴を抱きあげた。 ベッドの上。猫の子がじゃれ合うように、俺は海江田を抱き締め、耳や首筋に柔らかく歯を立てた。くすぐったいと云って、海江田は忍び笑う。 深く口付け、舌を絡め合い、たくし上げたシャツの裾から手を滑り込ませる。 焼けない肌 それは学生時代から変わらない。どんなに強い日差しの下でも、海江田はくっきりと白い肌をしていた。 焼けない体質らしい 海江田自身の云った事だ。 素肌をなぞる指に、海江田の身体がぴくりと震える。滑り込ませた腕を、さらに背に回し、背筋をゆっくりとなぞっていく。 「あ…」 忍び笑いが吐息に、吐息が喘ぎに変わるまで、そう時間はかからなかった。 「ふ、か…まち…」 制服の前を開き、露になった胸に唇を滑らせる。時折軽く吸い上げ、白い肌に紅の印を散らしていく。 「あ、く…」 海江田が、俺の頭をかき抱く。普段は寒々と冷たいまでに鋭利な光を宿す海江田の瞳。それがこの時ばかりは熱っぽく潤む。それは堪らなく…イイ光景だった。男のものとは思えない、きめの細かい肌に薄く朱が引かれ、それがしっとりと汗ばむ。俺の愛撫に敏感に反応して、海江田は身悶えた。浅く吐き出される吐息。それすらも…。 「海江田…」 熱くたかぶった身体を抱き締めて、耳元でそっと囁いてやる。 「…! んッ……」 瞬間、あがりそうになった声を、海江田は指を噛んで堪えた。 「相変わらず…感じ易いな」 昂まりに指を絡め、少しずつ追い上げる。強く、弱く散々焦らして弄ぶ。奴の感覚が奴の意識を離れるまで。徐にその昂まりを含むと、海江田の瞳から、堪え切れぬ涙が零れ落ちる。限度を越える感覚に逃れようとする身体。上がる声。それでも俺は許さない。 「ふかま、ちッ、もう…」 「まだ、だ…」 解放を求める海江田をいなして、俺はその足を抱えあげた。ゆっくりと、海江田の身体を押し開く。 「あ、あ…や、 あッ、ふかまち!」 一際、高く上がる声。与えられる感覚に耐え切れず、必死になってしがみつく腕。俺が最も好きな瞬間。 「ふかまち、ふか、まちッ!」 「海江田…ッ」 もっと、もっと深く、熱く、奴の理性の総てを奪い去ろうと、俺は海江田を責め立てる。 「あ… ッ!」 激しく揺すり上げると、海江田は俺の背中に爪を立てた。 「先日、見合いをした」 海江田が呟いた。 「んー、そうか。どんな女だった?」 飽和状態の頭で、あくびを噛み殺しながら、俺は訊いた。 「美しい人だったよ、とても」 「そら、眼の保養になってよかったな」 夢現で俺は相槌を打った。海江田は続けた。 「清楚で、気立てもよさそうだった。ああ云うのを日本美人というのかな」 「おいおい、随分褒めるじゃねえか」 海江田の言葉に、俺は苦笑した。海江田は、俺の腕の中にすっぽりと納まっている。女の話をするのに相応しい状況とは云えなかった。 「ん、幸いにして、先方もこの縁談には乗り気でね」 「あ? お前、結婚する気か?」 俺は、からかい半分で云った。しかし、海江田の答は冗談事ではなかった。 「…恥ずかしながら」 海江田は、ほんのりと顔を赤らめて云った。 「あの女と結婚できたらいいなと思った…」 そのまま、これ以上、何も云う事はないとばかりに、海江田は眼を閉じた。俺は絶句した。 しばらくして、俺は眼を閉じてしまった海江田にようやく尋ねる事ができた。 「…お前、それなのに俺と寝たのか?」 「するのは嫌いじゃない」 寝入りばなを起こされた海江田は、少しうるさそうに答えた。 「だからって…!」 そんなに簡単に割り切れるものなのか? そんな俺の疑問は口にする事も許されなかった。 「うるさいぞ、深町。私は眠いんだ。明日があるだろう? お前も寝ろ」 そう云って、海江田は再び眼を閉じた。その姿を見ながら、俺は溜め息をついた。 「嫁さん…苦労しそうだなあ」 「そんな事ないぞ」 俺がそう呟いた瞬間、眠ってしまった筈の海江田が、憮然として云った。 「出来うる限り、大事にするつもりだ」 「あーあー、解ったよ」 それがいやに真剣な口調で、俺はもう反論も出来なかった。 それから半年後、海江田はその見合いの相手とちゃっかり、いや、めでたく結納を済ませた。その後、しばらくして、晴れて婚約者となったその女を紹介されたが、清楚な、それこそ華のような美人で、俺は呆れてものも云えなかった。 それでも それでも時々、海江田はやってくる。 「するのは嫌いじゃないと、云っただろう?」 ごく自然に差し伸べられる腕。 それに疑問を感じながらも……俺は今日も奴に口付ける。 |
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