□■はじまりはいつも雨■□
 初めてのキスから、数日がたっていた。



「もう金輪際、お前にはつき合わんぞ!」
 俺の隣で、海江田は怒鳴っていた。
「まったく、資料位、きちんと前もって集めておけ! 土壇場になって探すから…」
「あーあー、解った解った!」
 俺は怒鳴り返しながら空を見上げた。

 雨、だった

 声も聞こえない程の雨が降っていた。
 自習時間、書いていたレポートの為の資料を探しに図書館に行って来るだけだからと、空模様が怪しかったのにも関わらず、傘など持っては出なかった。ところが、予定外に時間がかかって、気付けばどしゃ降りの雨だった。無理矢理突き合わせた海江田と、しばらく待ってみたものの、雨足は激しくなるばかりで、近づいた消灯時間に俺と海江田は図書館を飛び出した。そこまでは良 かったのだが…。
「お前が闇雲に走るからだぞ! こんな見当違いの場所まで来てしまったのは!」
 俺と海江田が立っているのは用具室の軒先だった。寮とはまるで明後日の方向である。雨で殆ど前が見えていなかったのと、街灯の数の数え間違いでついた先がここである。資料をかばっていた為に、俺も海江田もずぶ濡れになっていて、海江田が怒っているのも無理はなかった。
 だいたい、資料を取りに行く位、一人で行けないのかと、海江田はぶつぶつ云っている。
「お前だって、気付かなかったくせに…」
 俺が云い返すと、海江田は途端に眼を吊り上げた。
「…深町」
 静かな、静かすぎる声音。
 どうやら本気で怒らせてしまったらしい。俺は慌てて用具室のドアをこじ開けた。
「まだやみそうにないし、これ以上濡れる前に中に入ろうぜ」
 海江田は、まだ何か云いたげだったが、吹きさらしに近い軒先で濡れているよりはと、おとなしく用具室のドアをくぐった。



 用具室は真っ暗だった。
 手探りでスイッチを探し出し、明かりをつける。ぼんやりとした裸電球の明かりだったが、それでもないよりはずっとマシだった。
「ひでー降りだな…」
 俺の呟きに、海江田もうなずいた。
 雨は、簡単にはやんでくれそうになかった。コンクリートの屋根やアスファルトの道路を、雨粒が激しく叩いている。
 開校祭が終わって数日。秋から冬にさしかかる今の季節は、濡れたままの制服では寒さがこたえた。いくら屋根の下とは云え、用具室である。下は裸のままのコンクリートで、しんしんと冷気が伝わって来る。
 海江田が、寒さに身体を震わせている。俺は何枚かの古びたマットを引きずり出して、床に並べてみた。マット程度で寒さがしのげるとは思わなかったが、このままコンクリートの上に座っている訳にもいかなかったからだ。
「海江田、大丈夫か?」
 海江田はかちかちと歯を鳴らしていた。俺はと云えば、制服の上に着ていたジャケットのお陰か、海江田ほど濡れてはいなかったので、それほど寒いとは感じなかったが、海江田のシャツは、絞れるほど濡れてしまっている。俺は、海江田の唇が寒さで紫色になっているのに気付いて慌てた。
「海江田…」
 その震える唇を見て、俺はふと思い出した。

 そういや、こいつとキスしたんだっけ…

 開校祭の最中の事だった。僅か数日前の事なのに、俺はその時まで、それを忘れていた。
 海江田は寒そうに指に息を吐きかけている。俺は少しでも暖かいようにと、海江田を抱き寄せた。
「……!」
 その瞬間、海江田は息を飲んだ。一瞬、その眼が俺を捕らえてすぐ反らされる。海江田は無言で俺の腕から逃れようと、身をよじった。
 何でそこまでされなくてはならないのか解らなかった俺は、意地になって海江田を抱き竦めた。
「海江田…ッ!」
 それでも海江田は、必死になって逃げようとする。その時、限界まで顔を背けた海江田の、白い項が俺の眼を引いた。
 雨でしっとりと濡れたその肌は、きめ細かで柔らかなラインを描いている。俺は海江田の唇の感触を、思い出していた。

 思ったより柔らかだった唇と、離れる瞬間に海江田の零した吐息…

「!」
 俺は逃げようとしている海江田に、無理矢理口付けた。強引に歯を割り舌を差し入れる。海江田の拳が俺の胸を叩いたが、そんな事はどうでもよかった。逃げる舌を捕らえて絡める。濡れて肌に張り付いた海江田のシャツをはだける。海江田の肌に夢中で手を這わせながら、俺は海江田の唇の感触を味わった。海江田の唇も肌も、ひやりとしていた。
「あ…」
 長い口付けの後、俺が海江田の胸元に唇を落とした時、海江田は呆然と宙を見詰めていた。
 その身体をゆっくりとマットの上に横たえる。それでも海江田は何が起こっているのか理解出来ない様子だった。そんな海江田を驚かさないように、出来るだけ優しく、その冷えきった身体に愛撫を施して行く。重くなった制服を総て取り去って、少しでも身体が暖まるように抱き締める。
 耳朶を噛み、首筋に、頬に、何度も繰り返し口付ける。
「…あ、あ」
 海江田の唇が吐息を紡ぐ。見開かれていた瞳が、静かに閉じられる。
「ん…」
 閉じられた瞼に口付けると、海江田はうっすらと微笑んだ。
「くす、ぐったい…」
 吐息混じりに海江田が云う。
「まだ、寒いか?」
 抱き締めたまま、俺が尋ねると、海江田は小さくかぶりを振った。子供のような仕草だった。
 俺は、思いきって海江田自身に指を絡めた。びくり、と海江田の身体が震えた。どうやら、海江田に取って今だ禁忌の領域であったらしいそれを、海江田は拒絶しようとする。
「大丈夫だ…」
 強張る身体を宥めようと、軽く口付けてそう囁いてやる。海江田は暫くためらったが、やがて素直に身体を開いた。
「う…ン、ン…」
 海江田の頬が少しずつ上気する。呼吸も、触れあった胸から伝わる鼓動もその速度を上げる。返る反応から、海江田が感じている事を知って、俺は狂喜した。
「は、ふ……深町…ッ」
 海江田の声が、俺を呼ぶ。それが堪らなかった。
 俺は、海江田を含んだ。舌を絡め、追い上げる。
「あ、やだ…ッ」
 海江田の指が俺の髪に絡む。引き離そうとする力が、徐々に弱くなっていく…。
「ふかまち…ふかま、ち…」
 海江田が喘ぐ。それが至福だった。
 俺は、何度も海江田を追い上げた。



 傷付けたくないと思った。
 それでももう、俺の方が限界だった。
 ぐったりと横たわる海江田の身体を、俺はそっと返した。この方が負担が少ないと、何かで知った記憶があったからだ。
 ためらいがちに、俺は海江田の腰を引き寄せた。海江田は身体を強張らせる。
「…  !」
 少しずつ腰を進める。
「あ…く…ッ」
 苦痛に海江田は、マットに爪を立てた。それでも俺を拒まずに、苦痛に耐えている。
「あ…あ!」
 最後まで突入れると、海江田は悲鳴を上げた。それでも…。
「海江田…」
「だい、じょうぶ…だ…」
 海江田は最後まで俺を拒もうとしなかった。
「…海江田」

 好き、だよ

 何度も、抱き締めて囁く。囁く度に、海江田の身体から安堵したように力が抜けていった。



 海江田は、虚ろな眼をして横たわっていた。その顔が酷くやつれたような気がして、俺はいたたまれなかった。
 それを悟ったかのように海江田は静かに微笑む。
「深町…」
 海江田が呟いた。
「月が…綺麗だ…」
 見上げると、高い窓から晴れ渡った夜空と月が覗いていた。
「雨、上がったんだな」
 答はなかった。
 海江田は安らかな寝息をたてていた。
 その頬に触れる。ほんのりと暖かい。
「海江田…」

 好き、だよ…

 僕は上手に君を
 愛してるかい?
 愛せてるかい…?



 誰よりも…



 好き、だよ
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