□■使い古された諺を信じて■□
 海江田巌が死んだ。
 それは、トップニュースとして、瞬く間に広まった。 海江田と深町が、幹部候補生学校を出、正式に任官して、まだ一年目の事だった。



 突然の電話。
 真夜中の事だった。
 深町は狭苦しい独り暮らしのアパートの、とうに明かりも消えた部屋の中で、蒲団の中に頭まで潜ったまま、喧しく鳴り続ける電話を手探りで探した。
「ふあい、深町…」
 眠い声で答える。
『何だ、もう寝ていたのか』
 それが海江田の声だと云う事に気付くには、一瞬を要するだけで充分すぎる程だった。
 深町は飛び起きて明かりをつけた。時計を見ると、もう、と云われる筋合いはない時間だった。
「当たり前だ、何時だと思ってやがる」
 安眠を妨害された深町は、酷く不機嫌な声で云った。海江田はそれを聞いても動じた様子もなく、受話器の向こうで忍び笑っている。
「お前なぁ…」
 抗議しようとした深町を、海江田は遮った。


 そして…。
『迎えに来い』
「あん?」
 海江田は云った。
『迎えに来い、深町』
 そう云ったきり、海江田は黙ってしまって、深町が何を云っても答えない。
 遂に深町は諦めて、溜め息とともに訊ねた。
「…どこにいるって?」
『三笠公園だ。外は晴れていて、星が綺麗だぞ』
 あんまりだ、と、その時の深町は思った。人を叩き起こしておいて、星が綺麗だと云うのは何なのだろう。深町は、危うく電話を叩き切りそうになるのを、辛うじて堪えた。



 三笠公園。
 深町は結局、海江田を迎えに来た。何を云っても、海江田は『迎えに来い』の一点張りで、どうしようもなかったのだ。
 酷く寒い夜で、深町はジャケットの襟を立てて震えながら海江田を探した。
 漸く見つけた海江田は、ぼんやりと海を眺めていた が、深町に気付くと微かな笑みを浮かべた。
「来たか、深町」
 何故か…。
 何故か、頼りなげな笑顔。
 初めて見る表情。
「…どうかしたのか?」
 何かがおかしいと、深町は思った。およそ、普段の海江田からは想像もつかないような表情と奇妙な我が侭。
「父が…死んだ」
 海江田は暫く黙っていたが、やがてそう答えた。
 深町は愕然とした。慌てて云う。
「馬鹿野郎、こんなところにいていいのかよ!」
「いいんだ。突然死だったから、警察で司法解剖される事になったから。それが終わるまでは、葬儀も出来ない」
「だからって…」
「いいんだ!」
 海江田は急に声を荒だてた。海江田は傷ついた子供の眼をしていた。
「いいんだ…」
 小さな呟き。
 深町は、そんな海江田をただ見守っていた。



「落ち着いたか?」


 深町は半ば無理矢理、海江田をアパートに連れ帰った。そのまま帰す訳にはいかないような気がしたのだ。
 海江田は深町を見詰めていたが、やがてふいと眼を反らして、汚い部屋だと呟いた。
「悪かったな。でもまあ、憎まれ口叩く元気があるのには安心したぜ」
 深町は、片付ける間もなかった蒲団の上に、どっかりと腰をおろした。
「残念だったな、親父さん」
「…ああ」
 それに対して、海江田は、ぼそりと歯切れの悪い答えをかえす。
「哀しかったんだよな。それで、迎えに来いなんて…」
「…そんなんじゃない!」
「そうなんだろう? 顔に泣きたいって書いてあるぞ」
 深町の言葉を、海江田はムキになって否定する。
「違う! 泣き方なんて知らない!」
 深町は苦笑した。
「お前、本当に馬鹿だな。哀しい時は、泣いたっていいんだぞ?」
 唐突に、深町は海江田を抱き寄せた。
 海江田の頭を強く、強く胸に押しつけてやる。
「泣きたかったんだろ? だったら泣けばいい」
 海江田は深町の腕に抵抗したが、深町は腕を解かなかった。
 初めて会った頃から解っていた事。海江田は酷く感情表現が下手だった…。
「…う……」
 深町の腕の中で海江田が呷いた。
 震える肩…。
 一度零れた涙は、なかなか止まらなかった。海江田は深町にすがって、声を殺して泣いた。



 漸く。
 漸く涙のとまった海江田は、泣き疲れたようにぼんやりと、深町の腕の中に納まっていた。
 こうしているのは、酷く久しぶりの事で…。
「深町…」
 やがて海江田が、独り言のように呟いた。
「私が…好き、か?」
 戸惑う深町の顔を、海江田が見上げる。
「好き、か…?」
 海江田は、酷く不安そうな眼をしていた。
 深町は海江田を抱き締めてやった。抱き締めて、優しく囁いてやる。
「好き、だ」
「そうか…」
 海江田が安堵したように眼を閉じる。


 ゆっくりと。
 ゆっくりと重なり合う唇。
 互いの指が、互いのシャツを寛げていく。



 深町を感じている…。
 否定出来ない痛みと、それを上回る何かがそこにあった。
 失神寸前の意識は、酷く取りとめのないものだった が、それでも、深町が好きだと思うのは何故だろう…。
 限界ぎりぎりまで深町を受け入れて、海江田はふと、また涙したい衝動に駆られた。
 しかし、それは哀しみによるものではなく…。
 深町に抱き締められる。その感触に陶然となる。触れ合った部分から伝わる、互いの熱だけが真実だった。
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