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□■カメリア■□
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| 「海江田二佐」 自分を呼ぶ声に海江田が振り返ると、そこにいたのは速水だった。 「君か」 海江田が自分を認めた事を確認すると、速水は眼をひかれる鮮やかな微笑を浮かべた。彼とは短くない付き合いだが、隊内に流れる彼に対する艶めいた噂もまんざら嘘ではないらしいと、それを見た海江田は苦笑した。 「暫く陸ですか?」 やってきた速水は、海江田にそう訊ねた。 「ああ」 海江田は答えた。答えなくても速水は知っているだろうと思ったが、それを口にする事はなかった。 暗黙の了解 「自分もです」 それを聞いた海江田は、小さくうなずいた。速水とのこの短い会話が何を意味するのか、海江田には解っていた。 「では、自分はこれで」 速水は軽く会釈すると、海江田の脇を擦り抜けた。瞬間、海江田は、己のスーツの重さが僅かに増した事を意識した。 ポケットをまさぐると、プラスチックのプレートと金属の冷たい感触があった。 それが何であるのかは、見なくても解っている。 おそらく、ホテルのルームキーであろうそれ。 約束。 速水との逢瀬…。 海江田は無造作にポケットから手を抜くと、その場を立ち去った。 特に時間を決める事はなかった。 速水が、海江田を強制する事はなかった。 渡されるキーが『誘い』であり、その答えは海江田自身の選択に委ねられている。 いつものホテル。 速水との逢瀬は、必ずホテルで行われた。互いのプライベートゾーンからはかけ離れた場所を選んでいた。必要以上に干渉される事も、干渉する事もなかった。 身体だけの関係。 海江田はゆっくりとロビーを横切り、エレベーターにその身体を滑り込ませた。必要以上に身を隠すつもりはなかった。 誘う側も誘われる側も、割り切った『遊び』だった。 速水からの誘いは、そう頻繁な事ではない。海江田に取っても、それは待ち望む時間でも、ましてや愛情によるものでもなかった。 それでも。 それでも続いているのは、互いにそれを『遊び』だと考えていられるからだっ た。 初めて、海江田が速水と関係を持ったのは、海江田が一時、佐世保に在籍していた頃の事だった。 何がきっかけだったのか、海江田自身もよく覚えていない。 ただ、誘ったのは速水の方だった。 「新婚で転属なんて、人事も罪な事をしますよね」 酒の席での事だったような気がする。 互いに、酔っていた訳でもなかった。素面に近い状態で、速水は海江田を誘った。 「俺と寝ません?」 海江田は、あまり驚かなかった。 こんなものかもしれないと、ぼんやりとそう感じた。速水の真意ははかりかねたが、たいした感慨も持たず、海江田は速水の誘うままに一夜を過ごした。 速水が酔っていれば、海江田も誘いに乗ったりはしなかったかもしれない。軽くあしらって、タクシーにでも放り込んでいただろう。 しかし、海江田はそうはしなかった。真意こそはかれなかったが、速水が正気であったからだ。同性を相手に夜を過ごした経験があった事も、その誘いに乗る気になった理由の一つかもしれない。 その夜は、酷く熱い夜になった。海江田は、速水の手によってもたらされる快楽に、乱れ、嬌声をあげた。久しく忘れかけていた感覚を思い出すのに、そう時間はかからなかった。 速水の手は巧みに海江田を追い上げ、焦らし、導いた。ひどく慣れたその手際を指摘すると、速水は『女ですよ』と云って笑った。 「男と寝たのは初めてですけど。でも女より、解りやすいものですね。どこをどうすれば悦ぶのか、感覚で解る。同じ仕組みの身体だからでしょうね」 それから時折、速水は海江田を誘うようになった。 しかし、それだけだった。 速水は気の向いた時に海江田を誘い、海江田も気が向いた時にだけ、速水に抱かれた。海江田が佐世保から横須賀へ戻った後は、その関係も暫く途絶えていたが、速水の転属で、逢瀬は再び繰り返されるようになった。 時には三月も音沙汰のない、そんな気紛れな逢瀬。 海江田は目指すドアを捜し当てた。 迷わずキーを差し込んでドアを開ける。部屋にはすでに速水の姿があった。 「案外、早かったですね」 速水は立ち上がって海江田を迎えた。 海江田はそれには答えずに、ポケットから煙草を探り出すと、そのうちの一本をゆっくりとくわえた。速水の手が、それに火をつけた。海江田は、そのまま壁に寄りかかって煙をくゆらせる。紙の焼ける鈍い音が心地よかった。 三分の一程のところで、速水が海江田からそれを取り上げた。速水は一口だけそれを吸うと、それを手にしたまま海江田を引き寄せた。耳元や首筋に些細な悪戯を繰り返し、最後にゆっくり唇の感触を味わう。そうしながら速水は、傍らのサイドボードの上の灰皿に、手にしたままの煙草を押し付けて揉み消した。 唇から喉元へ移ろうとする唇を、海江田は顎を反らして助けた。速水の手がスーツの裾から忍び込んでくる。 「シャワーを…」 「必要ありませんよ」 速水の手でネクタイが解かれた。一つずつ時間をかけてボタンが外され、少しずつ素肌が外気に晒されて行く。海江田は、速水の為すが侭に身を委ねていた。速水の腕に抗する事なく、欲望に身を任せている。 零れる吐息。 忍び笑い…。 他愛のないじゃれあいが、やがて熱い愛撫に取って代わる。 ふと、速水が身体を引いた。 それを訝しんで、海江田は速水を見た。速水はただ黙って海江田を見詰めていたが、やがて呟くように云った。 「貴方は…本当はどんな人なんでしょうね」 こんな事は初めてだった。 「どうした、やぶからぼうに」 速水はゆっくりと海江田の頬をなぞった。 「いえ、ただ…貴方の素顔を知っている人間はいるのかと思って」 海江田は無言だった。速水は構わず言葉を続けた。 「うちの艦長といる時の貴方は、非常に軍人らしい軍人だし、山中さんといる時は酷く子供じみた一面がある。演じているんですか? 相手の望む姿を。奥さんの前でも、きっとまた違う顔をしてるんでしょうね」 海江田は笑った。 「演じる、か。そうかも知れない。しかし、そうだとしても、どれも私自身だよ」 そう云って、海江田は速水の首に腕を絡めた。微かに眼を細め、速水を見詰める。それは、速水が殊の外好む表情だった。 計算ずくの行動。 「では、君とこうしている時の私は、どんな顔をしている?」 「そうですね…」 速水は誘われるままに、海江田の腰を抱いた。ゆるやかに指を這わせ始めながら、海江田の耳元に唇を寄せる。 「私といる時の貴方は…娼婦のようですよ。酷く淫らで蠱惑的な、誘われずにはいられない最高級のね」 海江田は喉の奥でくぐもった笑い声を響かせた。 「その娼婦を、君はどう扱うつもりかな?」 「さあ…」 速水は曖昧な笑みを浮かべながら、海江田の肩口からシャツの下に手を滑り込ませた。そのまま一気に海江田の肩を覆う衣服を落としてしまう。 「…どう、扱いましょうか?」 光源を落とした部屋の中で、海江田の身体が揺れていた。 ベッドの軋む音と時折上がる声。 「そう…いい、ですよ」 海江田の動くままに任せている速水が云うと、海江田は上気した顔に薄く笑みを浮かべた。 「他の人間とは、どうしてるんです? こんな風に…乱れたりするんですか?」 そう云いながら、速水は一度だけ、大きく海江田を突き上げた。 「さあ…ねッ!」 海江田は肩を震わせて耐えた。 「うちの艦長と、寝た事あるんでしょう?」 速水はさらに訊ねた。他人とのセックスと重ねる事によって、興奮を増長させる為だった。 「その時も、こんなに大胆なんですか?」 「気の遠くなるくらい昔の事だ。覚えてないよ」 「じゃあ、山中さんは?」 海江田は笑った。 「気になるか?」 「とても…ね」 そう云って速水は、再び海江田を突き上げた。 「彼は…ッ、彼は紳士だよ。私にこんな事はさせない。いつも優しく口付けて抱き締めて…」 「俺とは正反対ですか?」 速水は海江田を引き倒した。海江田は笑い続けている。 「そうかもしれないな。でも、君とこうしているのも悪くない。君は一番背徳と云う言葉に近い時間を味あわせてくれるから」 海江田は酷く楽しそうだった。 「貴方も、案外な人ですね」 速水は苦笑した。 海江田はいつもこうだった。貪欲に快楽を貪り、速水との交渉に溺れているように見える瞬間も、どこか冷めた部分を持っている事を隠そうともしない。 「俺が相手だと背徳なんですか?」 「だって、君は私を愛していないだろう?」 「…そう思いますか?」 海江田は答えなかった。ただ微笑みを浮かべて速水を見ていた。 酷く…。 酷く、残虐な気分にさせられた。 海江田のポーカーフェイスを崩してやりたいという強烈な衝動に、速水は身を任せた。 何の前触れもなく、海江田の腰を抱き寄せ、深く貫く。瞬間、海江田は苦痛に眉を顰めた。 「…ッ、速水く…ん! 乱暴は…」 「駄目ですよ」 速水は優しく囁いた。 「貴方は娼婦なんですから。口答えはしないでください」 優しい、しかし有無を云わさぬ口調。 「ん…ッ、あ、あア!」 激しく揺すり上げると、海江田は悲鳴に近い声をあげた。 速水は海江田を苛んだ。時にゆるく、時に激しく海江田を貫き、緩急をつけて追い上げた。 「…んッ、ン …」 時折、海江田は甘く抜ける声をあげる。瞳は熱に潤み、上気した身体を持て余しているように撓らせる。 それでも、その瞳の奥に冷めた光りが残されているのを、速水は見逃さなかっ た。 総て。 総て、雄を誘う為だけの、計算された行動。 それが、酷く空しかった。 「もし…」 速水が呟いた時、海江田はベッドで情事の余韻を楽しんでいた。 「もし?」 海江田は気怠げに起き上がると、シーツを身体に纏わり付かせたまま、部屋の片隅でグラスを傾けている速水を見た。 「もし…」 速水は、再びそう呟いた。 「もし、俺が貴方を『愛して』いたら、貴方はどうします?」 海江田は答えなかった。 ただ、軽く頬杖をついて、その口元にゆるく微笑みを浮かべていた。 拒みはしない。しかし、海江田が自分を愛する事とはないと、その時速水は知ってしまった。海江田が微笑み以外の表情を、自分に見せる事はないと…。 穏やかなアルカイックスマイル。 それが答えだった。 |
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